脱力
色々なところで耳にします。
体を使うもの、例えばスポーツや楽器演奏、
歌うことだったり、踊ることだったりで
よく使われる言葉。
体を直接使うことではなくても、例えば緊張を取り除く時に使われたり、
唖然とすることが起こって脱力したなんてちょっとネガティブな
表現の仕方もあります。
で、この脱力ってなんなのか。
ずっと私は、力を抜くことだと思ってました。
でもそれは違う。
というかあながち間違いではないが脱力できていない人が
脱力しようとする時に役に立たない、
場合によっては害になる解釈だと今は感じています。
声を出す、ということにおいて私はそれを学んだのですが、
今の私にとって脱力とは、
必要な箇所に必要な分だけ力を入れること
だと思っています。
力を抜くことではなくて力を入れることなんです。
結果として力を抜くことが起こることはもちろんあります。
不必要に多くの力を使っていた部分が、必要なだけの力に
なった時、それは力を抜いている状態と言えるでしょう。
そして、力を必要なだけ入れるには、必要なだけの力が
ないといけません。
例として、腕立て伏せを1回することを考えてみます。
脱力という言葉からイメージしがちな、力を抜く、
ということを最大限にやってしまうと、そもそも腕立てが
できなくなります。
最大限とまでは言わなくとも、一定の力をかけないと
腕立てができないでしょう。
一方、全身のありとあらゆるところに力を入れて
腕立て伏せをすることもできます。
そこから、腕立て伏せを1回するために必要な力だけに
することができたなら、それは最初の状態から脱力した
と言えます。
つまり脱力するということは、人によって、あるいは
その時の状態によって、力を入れることもありますし
力を抜くこともあるのです。
脱力=力を抜く、ではないということです。
また、腕立ての例で言えば、どんなに足の力があっても、
腕の力(正確には腕だけではないですが)が全くなかったら
1回も腕立てができません。
そんな人がいくら脱力を意識してもいつまでたっても
1回も腕立てができないままになってしまいます。
声を出すことも、楽器を演奏することもこれは同じで、
必要なところに必要な分だけの力はないと
うまいこといかないのです。
じゃあ必要なところはどこなのか、必要な分というのはどれだけのことなのか、
これが肝になると共に、非常に難しいところです。
私のおすすめとしては、特に比較的力のない人にはおすすめなのですが
まずは力を入れてみる、力をつけてみる、
ということです。
その上でだんだんと減らしてみる。
もしくはその逆ができればそれでもいいです。
限りなく力を抜いた状態(そのままでは目的の動作ができないくらい状態)から
行いたい動作ができる最低限の状態に持っていくというやり方です。
ただ、これは結構難しいと思います。
しかし、時に有効なやり方にもなることがあります。
声なんかは例えばいわゆる地声が重くて高い音に上がれない人は
裏声から降りていって徐々に地声に近づける方がうまくいったり、
感覚をつかみやすい場合もあります。
いずれにせよ、力を入れることを不必要に恐れることはありません。
最低限の力は入れることが必要なのですから。
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