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いろいろなボイトレを受けたり、世の中のボイトレ本を見て思うのは、

1つの声を絶対視しているものが多いのではないかということ。

どういうことかというと、ある声色やある声の出し方が「いい声」である、「いい発声方法」であるとし、

それ以外はよくない声なんだ、出してはいけない声なんだ、

とする教えが結構多いのではないかということです。

 

私は今はそういった教えにはかなり疑問を持っています。

今は、とあるのは、昔は自分もある1つの絶対的に正しい声色や声の出し方というものが

存在していて、それ以外は全部だめな声なんだ、と思っていたからです。

 

正しいと思っていた声を出すことをひたすら目指していました。

 

でもその方法では上達しませんでした。

 

今は、逆にいろいろな声を出すことで上達しています。

もちろん喉を痛めるような声の出し方は避けていますが、例えば喉を絞ったような声は喉によくないので極力避ける、

喉頭が上がるのはよくないから浅い・平たい声は出さないようにする、

といったことはしていません。

 

1つとは言わないまでも、特定の声だけを理想の声としてひたすら目指したり、

その声を出し続けるのは、喉の筋肉が固定化してしまい、自由度がなくなってしまうと考えています。

 

例えるなら、サッカーが上手くなりたくてひたすら右足でまっすぐシュートする練習だけ、

そして試合でも右足まっすぐシュートをするようなものだと思います。

それでもたしかに右足でまっすぐシュートすることは上手くなるかもしれませんが、

それしかできないので自由度は少ないですし、そのうち特定の筋肉だけが発達し

他の筋肉・動きは弱ってしまったりこわばって柔軟性を失ったり、結局はまっすぐシュートも

衰えてしまう、なんてことになります。

 

そういったことがこと発声という分野においては

ふつうに行われているような気がしてなりません。

 

厄介なのはそれで一時的に良くなることもあることです。

よくなったのでそれが一番だと思っていたらそのうちあれ?と思う状態になってしまうことがこわい。

私が今やっていることも理論上は同じでそういった可能性がゼロではもちろんありません。

いいと思ってたけどやっぱり…という意味では。

でもよく考えると理にかなっているのは、いろんな声を出すことだと思っています。

スポーツの世界でもあえて違う競技をしてみていろいろな筋肉に刺激を与えたり、

1つの部位だけを鍛え上げて終わりなんてことはしないですし。

 

というわけで、1つの声を絶対視することは反対!というのが今の持論です。

 

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カテゴリー: おもうこと

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