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Voicyの澤円さんの話を聞いてふと思ったこと。

判断を先送りにするということは、

判断をしないで済んでいる

と思いがちだけれども、

実はあることを判断しているんだ

ということ。

 

そしてそのことを意識していないと

先送りにして猶予ができたと安心したものの、

後で後悔するのではないか?と思いました。

 

どういうことかというと、例えば

転職をするかどうかの判断を

先延ばしにしたとします。

先延ばしにするということは、転職する・しないの結論を

今は出さず、未来に先送りしていると考えがちですが、

実は、

転職しないということをこの時点では判断・決断している

のです。

 

当たり前のようなことだと思う方もいると思いますが、

先送りすることで猶予が生まれ判断しないで済んでいるように感じるために、

意外とこのことに気がついていないことが

あるのでは?と思いました。

 

先送りにすると時間的猶予ができたと思って

なんとなく安心してしまう自分がいるんですね、

私の場合は。

 

でも先送りにした「決断の時期」が訪れるまでの間は、

「今は判断しない」という決断をしただけでなく、

先の転職の例のように「転職しない」、

つまり「●●しない」(もしくは●●する、の場合もある)

といったような何かしらの決断・判断をしてしまっているわけです。

 

なので、

判断の先送り=判断しない

ではなく、

判断の先送り=判断している

ということを意識することで、

本当に先送りしていいのか?

ということをちゃんと考えることができると思うのです。

 

先送りがすべて悪いわけではなく、考えた上での先送りであれば

何の問題もないと思います。

 

ですが、もし、

なんとなく先送りしている

今は考えたくないから先送りする

ずっと先送りし続けている

なんて時にはこのことをちょっと考えると

本当に先送りしていいのか?

という問いに対して後悔しない回答ができると考えています。

 

いつも判断し続けるのは大変なんですけどねー。

スティーヴ・ジョブズは判断することを極力減らすために

毎日同じTシャツを着るなんてのを聞いたことがありますが、

判断をするための力は無限にあるわけではなく一定の量しかないので

大事なことに使えるよう、

無駄に判断力を消費しないためにそうしているのかな?

なんて思ったりしました。

 

 

 

 

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カテゴリー: おもうこと

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