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自給自足したいです。

なぜか。

自分が生きるために必要なもの、特に最も根本的な

衣食住に関わるものについては、支配されたくないのです。

支配される、なんていうと強い言葉ですが、

自分で衣食住を用意できないと、今の都会の一般的な生き方としては

衣→お店で買う。(よくても材料を買って自分で作る)

食→スーパーなどで食材を買わないと食べる物がない

住→家を買うか借りないと住む場所がない

という状態になり、それらを手に入れるためには通常お金が必要であり、

一人では完結できない、ということになります。

一人で完結できないということは誰かに少なからず依存することになり

依存相手が安定していたり、より豊かな状態を作っていたり、

そういうことであればまだいいのですが、この世の中、

安定していない、安心できない、というものが多く、

衣食住を自分でまかなえない不安があります。

 

逆に言うと衣食住が自分ですべて安定かつ継続的に用意できれば

そういった不安も減り、自由度が増すと考えています。

 

特に、”住”に関しては、買うにしても借りるにしても都会は高い!

住むということにとても大きなエネルギーを持っていかれている気がして

それを他のことに費やせたらもっと楽しいだろうなあなんて思ったりします。

 

“衣”については、気にしなければそんなにお金はかからないけど、

見た目というのは社会生活をおくる上では意外と重要な要素に

良くも悪くもなっていて、サラリーマンとかだとスーツとか

ワイシャツとか結構かかるんですよね。。。

でも”住”よりは負担はだいぶ少ない。

 

“食”は、好みや考え方によってもかかるコストが変わってきますが、

コストだけでなく、自分でコントロールできる要素が、

実は少ないと思っています。

農家であればまた違うのだと思いますが、多くの人が食べる物を手に入れるとき、

スーパーやコンビニで買うという行為を行います。

出来合いのお弁当やおにぎりは、その中で何が使われどのように作られ

どのようして店頭に並び、並んでからどういった状態だったのか、

という点はまったくわかりません。原材料は書いてありますが、

調べないとわからない物が多いし、すべてが載っているとも限りません。

つまり本当はよくわからないものを口にしているのですが、

正直なところみんながそうしているから大丈夫だと思い込んでいるようにも

みえます。もちろん大丈夫なものかもしれません。

肝心なのはそれがわからない、ということです。

肉や魚、野菜を買って自分で調理すれば何が入っているかわからないという

ことは起こりません。しかし今度は、その肉や野菜がどのように育って

今に至るのかがわかりません。

こういったことに問題意識を持っている人たちは、たとえば有機野菜だけを

扱ったお店で野菜を買うようにしたり、生産者や生産方法がわかっている肉を

買ったりしていることもあるでしょう。

ただ、仮に問題意識を持っていたとしてもお金がないと理由などで、どうしても

スーパーなどに頼らざるを得ないといったこともあります。

そのため、自分でコントロールできる部分があるようで限られているとも

感じます。

どこかの国が生産を調整すればそれが自分の体に入る物にも影響されたりする、

そんなことも起こるわけで、それが自給自足であれば発生しない、という点に

私は魅力を感じます。この感覚、なんとなくわかりますでしょうか・・・

 

また、少し衣食住という言葉からは離れるかもしれませんが、

エネルギー、例えば電気も今の生活では欠かせません。

電気も自給自足できたらなと思いますが今の技術ではできないんでしょうか。

技術を結集させればできそうな気もしますがそうすると電力会社とかが

困ってしまうのですかね。

 

と、まあつらつらと述べてきましたが、昔から自給自足したいなあと

漠然と思ってきました。自給自足できれば働かなくていいし。

・・・ということは自給自足したいんじゃなくて働きたくないってこと?

いやいや、違うはず。

自分のことは自分でコントロールできるようになりたいんです。

賛同される方を集めて村でも作りたいな。

 

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カテゴリー: おもうこと

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