これがほしい、あれがしたい
ここに行ってみたい、あれが食べたい。
日々いろんなところでそういった何かしたいという欲求が
出てきますが果たしてそれはほんとうに自分から湧き出た
感情なのだろうか?と疑うことがあるのです。
はたから聞いたら、なんでそんなこと思うの?自分がそう思うなら
それは間違いないんじゃないの?ということかもしれません。
でも、自分の欲求や感情、考え方などが自分から湧き出たものでは
ないのではないかと思うことがよくあるのです。
最初に言っておくとこれは根拠のない話です。
そう思う、というだけの話なのですが、もしかしたら同じように思う人が
いるのではないかということと、そういった考えも時には役に立つのでは
と思い、書いてみます。
無性に、というほどでなくても、このスマホほしいなぁとか
最近時計が気になっているとか、これほしいなと思う時があります。
そんな時に、ネットでいろんな機種を検索してみたりして
そのほしいものの情報を集めていくと、ほしいと思う強さが
どんどん上がっていくのですが、そこでそのほしいものを買わずに
しばらくほうっておくと、不思議にそれほどほしくなくなってる
という時があります。
そんな時、あのほしいという気持ちはどこにいったのか、
時間が経ったことでほしい気持ちが弱まっているのなら
そんなにほしいものではなかったのではないか、
ていうかなんであんなにほしかったんだっけ?
と思ったりします。
洋服なんかは流行り廃りがあるせいか顕著で、
これは賛同してくれる方もいるのではないかと思うのですが、
昔の写真をみると、なんでこんなかっこ悪い服を来てるんだろう、
でもあの頃はこれがかっこいいと思ってて買いに行ったんだよな、
といった具合に、今はほしいどころか寧ろまったくほしくない
なんてこともあります。
極端に言えばそれらは周りが作り出した感情であり、自分からみたら
作らされた感情であるような気がします。
そしてそういった作られた感情だけで生活していると
楽しい面もあるのですが、後で振り返ったときに、
あまり残らないものになるように思うのです。
これは物欲だけでなく、いろいろな自分の判断・選択・決断においても
同じです。物であればまだ、PR戦略にのせられて買ってしまったくらいで
済みますが、働き方や生き方にまでそれが及んでくると影響はかなり大きいです。
そのまま幸せになれればいいのでしょうが、なんか変だな、大変だな、つらいな、
という状態やみんなで間違った方向に進んでしまって取り返しのつかないことに
なった、なんてことになる可能性だってあるのではないでしょうか。
ちょっと大げさかもしれません。ただ、自分の感情や考え方を注意して観察して
みたときに、それがどこから生み出されたものなのかを考えることで、
本当にほしいものとそうでないものを区別できたり、もっと言えば誰かや
周りに支配されにくくなるのではないかと考えています。
自分で考え自分で選び自分で行動する、ということに近づける。
そうすることで後悔や、やらされ感のようなことが減るように思います。
もっと自分で自分の人生を切り開いて生きている、という感覚に
近づけるのではないでしょうか。
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